ともさんの恋愛論
お久しぶりです。なにも書いていなかったのでそろそろなにか書かなければならないと思いまして、この記事を書くことにしました。
何かに駆り立てられたので(なにも書いてないので)ブログを書きます
— ともさん (@Traveloveliver) 2019年5月26日
お題
Twitterでアンケートを取った結果、どうもこちらが多くなりそうだったのでテーマは上にある通り、私の恋愛論です。
皆さん、どうせ恋愛の話がお好きでしょう?
…というタイトルからの閲覧伸びを見据えた下心丸出し状態です。が、惚気話のようなジャンルを期待されていた方には申し訳ない。どちらかと言うと論文のようなジャンルです。
先にお伝えしておきますが、これから書くことはあくまで「私の」恋愛論であり、絶対的にこれが正しい!という意図で書くわけではありませんので誤解なさいませんように。
1.恋愛をすることとは?
“恋愛”とはなんでしょう?普通に(慣用的に)考えると、「恋愛をする」ということは、男女がお付き合いをするという意味で使われることが多いかと思います。
偉大なるWiki大先輩によりますと、三省堂国語辞典(第7版)による“恋”の定義は、
人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち
です。
そう、つまりこの定義に則れば、交際したいと思う異性、いわゆる「好きな人」に限定して恋をするわけではないと解釈することも可能なのです。上記の気持ちを抱く相手なら家族、友達、親友...その他にも恋をしていると言えるのです。ちなみに“愛”は
「1 〈相手/ものごと〉をたいせつに思い、つくそうとする気持ち」「2 恋(コイ)を感じた相手を、たいせつに思う気持ち」
だそうです。つまり恋愛とは、「いつまでもそばにいたいと思う人を、たいせつに思う気持ち」と捉えることができます。「恋をした」と言うと、さも一大事で大ニュースのように扱われることが多いですが、それは決して対象者が限定される、珍しい気持ちではないのかも知れないということです。
2.学生が恋愛をすることの損と得
※この章においては、“恋愛”の意味を一般的な「男女がお付き合い、交際をすること」とします。ややこしくて申し訳ないです。
いつまでもそばにいたいと思う相手に愛の告白(?)をし、めでたくカップル(私はよく“アベック”という古めかしい表現を使ってしまい顰蹙を買います)成立となったとします。多くの場合、カップルになる目的は友人としてより、1つ上の親密な関係を築くことです。
確かに、カップルとなっている状態ではその関係は実現すると思います。とても充実した日々を過ごすことが出来ることでしょう。
しかし、学生の恋愛というものが結婚ということに至るまで続くことはごく稀です。つまり、一般的にはいつかはお別れをする日がやって来るということです。※1(ここでは少数の例をないものとして扱います)
その時になって、恋人の関係を1つ下に下げ、友達(もしくは親友)にできるならばよいのですが、実際はそう単純な話ではありません。お別れをする理由として、「親密になったがゆえに相手の悪い部分が目についてしまうようになった」「今の関係に満足が行かなくなった」など前向きでは無い場合が多いでしょう。(前向きな場合もあります、しかしここでは無いものとして扱います)そしてその場合、一般的には恋人となる前よりも疎遠になります。疎遠になるだけならまだしも救われるのですが、ひどい場合には互いの悪口、陰口を周囲に言いふらすような関係になる場合もあります。
もっとも悲しいパターンとしては、「自分は相手のことが大切でも、相手はそうではなくなった」というパターンでしょうか。
「いつまでもそばに居たいと思う人ととても親密な関係になったがゆえにそばに居ることが不可能になってしまう」ということですね。
しかし、欠点のない人間など存在しないとも私は考えます。だから結婚後しばらくした夫婦にも同じことが起こります。しかし、恋人と夫婦では責任の重みが異なります。もしこの二つが同じなら、結婚をしてすぐ離婚することが一般的になっているはずです。
つまり、「いかに相手を受け入れ、それを乗り越えることができるか」の方が重要です。夫婦では自動的にこれが行われているようなものです。それでも受け入れられなければ離婚に至ります。これについては3章で伏線の回収(!)があります。
まとめれば、「友人のままならば続けられるであろう関係を、リスクを背負いながら親密にする必要はない」「恋をしたからと言って交際することが最適解とは言えない」ということになります。多くの場合には友人関係でも十分に充実しているのではないか、と思うのは、私だけでしょうか?
※1 第15回出生動向基本調査(国立社会保障・人口問題研究所,2015)によれば、夫婦が出会ったきっかけについて「学校で」は11.7%、およそ10組に1組。これを多いと捉えるか少ないと捉えるか...私は少ないと捉えました。ちなみに「街中、旅先で」が5.7%も居たことが面白い発見でした。
第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)|国立社会保障・人口問題研究所
3.交際と結婚はまったく違う!
結婚に至らない恋人関係、または結婚に至るまでの過程を一般的に「交際」と言いますし、ここでの定義はその通りとします。
2章で書いたことは、「学生時代の交際は結婚に結びつかない可能性が高い」「交際をすることにより一時的に親密な関係となるが、結果としてそれ以前より悪い関係となることが多い」ということでした。
では交際することは必要ないのか?昔のように見合い結婚をするべきなのか?と言うとそれはそういうわけでもないのです。
夫にとっての妻、妻にとっての夫を「配偶者」と言います。民法には、「夫婦は互いに協力し扶養(生活をできない者に対する援助)しなければならない」とあります。これが当てはまるのは次のような場合です。①配偶者に対して扶養が必要であること ②自身にそれを扶養する能力があること…つまり、私がなんらかの理由で仕事ができない状況となったら、配偶者がそれを支えなければならないし逆もしかりということです。
そこから見えて来るのは、結婚という行為の重要性とそれに伴う責任です。
自分が生活の危機に陥った時には配偶者に助けてもらうことが出来ます。これは素晴らしいことです。他方、相手が窮地に陥った際には自分の財産や時間を使ってそれを助けることが求められます。
つまり、結婚する相手というものは必要なときに支えてくれる能力があり、かつ自分の財産を差し出すことに相応しい人物であることが望ましいということです。無論、それに加えて自分の望む人物像であることが望ましいことは言うまでもありません。
すでに気心が知れており、これなら納得!という相手と、結婚ということを前提条件として(結婚を前提に...という言葉がありますね)、交際をするというならば、それは前提条件がないものと比べてかなり良いものであると考えることができる...というわけです。(伏線の回収です)
再三になりますが、これはあくまで私の考えであり、皆さんが学生のうちに交際することが悪いと言っているわけではないということです。 私としては、親しい人間を失うくらいであればそれをしない方が得であるというだけのことです。
4.まとめ
これはとても合理的な、ひとつのものの考え方の紹介なのです。しかし非常に極端な考え方ということです。だから私の書くことを信用してはいけません。私自身もいまこのような考え方を持っている、というだけでありそれがいつ変わるかも分かりません。変わらないかも知れません。
これを読んで「は!?ふざけるなよ!」と思ったあなた、私が偏屈な人間であることをいま一度思い出した上でコメントをするなり自分の心にそっ閉じするなどしてください(初見でこれを読んじゃった方はあまり気にしすぎないで日々の生活に戻ってね☆)
結びとなりますが、令和ちゃんには31℃などというふざけた最高気温を即刻やめて頂くこととみなさんの健康を祈念して、この記事を終わりとします。ご閲覧ありがとうございました。