魔女の旅々はいいぞ(+旅人の話)
おばんです。ともさんです。
最近ブログを書いていなかったので(いつもの)、なんか書かにゃいかんなと思いまして、最近ハマっている作品について書こうと思います。
最近ちょくちょくTwitterでも発信していますが、「魔女の旅々」という作品です。たびたびです。Twitterで全力でオヌヌメしてもいいかと思ったのですが、途切れ途切れになってしまいTLを埋め尽くすこと必至だったのでブログにしました。久しぶりにカッチリはまる作品に出会ってしまいました。ゆるキャン△以来ですかね。声を大にして言いたい!いいぞ!
それは遡ること数ヶ月前...
私(Prime Video、金払ってるのにほとんど何も見てないワ...)
(たまにはオススメでも見てみるか)
(なんやこれ、旅って書いてあるし試しに見てみよう...)
-50分後-
私(2話も見た)「おもろいやんけ!」
おおざっぱに、どのような作品かと申しますと...
・主に一人旅で送られる冒険譚
・いろんな変な国が登場
・世界観はヨーロッパの美しい部分+魔法
・出会いと別れの物語(作品としては、「別れ」に重きを置いているようです)
...というわけで、私がハマらないわけがないのでした。ありそうでなかった、魔女(魔法少女?)が旅する話です。しかも世界観が丁寧なんですよね。旅する作品ではかなり重要です。後から思うに、これはいずれハマるしかない運命だったような気もします。
冬アニメだったわけですし、いずれTLのオタクさんとかから情報は入ってた気がします。ですが、これをピンポイントで私にオススメするAmazonに脱帽。GAFAのビッグデータ恐るべし。
その後原作の小説も3巻まで読みました。有難いことに15巻まで出てるので先は長いです。(この後ハイキュー‼︎も見はじめました)
これだけで終わったらわざわざブログに書くまでもないので、具体的にこの作品のどういうところが私の性癖に刺さっているのかを書いていきたいと思います。私言うほどアニメオタクじゃないので(基本的になんも見てないシーズンの方が多い)、あまりこういうことしないのですが、ハマるときにはどハマりし、そして1つの作品にめちゃくちゃのめりこむタイプです。ラブライブ!とかもそんな感じです。同時並行でいくつも見るのは苦手。
あわよくば、この記事をもとにこの作品を多くの人に見てもらえれば良いなと思います。
作画/食事の描写が丁寧
巷では食事の描写がいいアニメは良作とかいうらしいですが、この魔女の旅々でも、またちゃんとしたおいしそうな食事が見られます。パンおいしそう。結構重要な要素ですよね。食事がおいしそうだとリアルさにもつながるし、ほっとしますよね。ゆるキャン△とかも食事の描写が本気で気に入った節があります。
また、作画そのものも大変綺麗です。小道具、部屋の内装なども凝っていますが、特に素晴らしいのが街や自然などの背景。この作品の持つ世界観を鮮明に映し出しています。現実世界に存在しそうな街並みもあり、普通に旅してみたいです。原作から読んでいた人はたいそう感動したのではないかと思います。作画を見るだけでも一見の価値ありです。バトルシーンの躍動感とかもかなりガチっていたりして、あれ?何の作品だっけ?と思うほど。
番宣のPVを見るだけでも、背景はじめ作画の良さが伝わると思うのでぜひ。(媚売りは基本)
主人公の個性が光る
作画も大事かもしれませんが、物語でそれ以上に重要なのがキャラクターです。
主人公のイレイナさん(魔女)がかなり良いキャラしています。旅人はこうでなくちゃ!という感じにサバサバしています。サバサバ感は、旅をするうえで実際に重要です(経験者は語る)。さらに割と毒も吐きますし、かなり大雑把です。いいですよね。ともさん的には、今まで出会ってきた中でもかなり理想的なキャラクターです。
しかし、本心は優しさが捨てきれないようで、特に深く関わった人には冷たくなりきれないという良いキャラです(2回目)。ただ冷たいだけではないというわけですね。
上にリンクを貼ったPVにも使われている「あなたはこれから一人になります。でも、孤独ではありません」という台詞は、夢に向かって一人で立ち向かわねばならぬ人に対し、例え物理的に一人でも、誰かに想われていてそれを感じられるなら孤独ではない、ということを説くために彼女が贈った言葉です。あなたは一人じゃないと言ってごまかすのでもなく、誰もあなたを助けたりしないと突き放すのでもない。想われてるなら怖くないと言い、そして彼女自身も想ってあげる。世の中にこんな優しい台詞ある!?と思い、この主人公の底知れぬ隠れた優しさに気づいた瞬間でした。いいキャラしてますよね(3回目)
この台詞、どこで登場するか?それは見てのお楽しみです。
余談ですが、「キノの旅」のキノさんは、情が生まれるとまずいから、と1つの国に3日までしか滞在しないというルールを作っていますね。そう。旅人にとって、誰かの心に触れ込みすぎるのはある意味タブーなのです。情があるとめんどくさい(別れがつらくなるとか)ですし、余計なトラブルに巻き込まれやすいので。しかしそれを完全には捨てきれないイレイナさんです。「キノの旅」も面白いのでぜひ読んでください。
イレイナさんの弟子(?)的な存在のサヤという少女が登場します。(設定的に日本人っぽいです)詳細は2話を見て頂きたいのですが、こちらもまたいいキャラをしており、本作における旅路での出会いと別れと体現するようなキャラクターになっています。イレイナさん大好きキャラです。そしてそれを煙たがりながらもまんざらでもない主人公、という王道ながら間違いないアレです。
イレイナさんはひとところに留まらない旅人で、旅路でもしものことがあれば、もう会えないかもしれない。そのことを思い出させる別れのシーン(※6話です)は必見。
2話を見、6話を見終わる頃にはあなたもイレサヤてぇてぇ(尊え)という感情を抱いているかもしれません。私的には別に百合百合してほしいとかではなく、終末世界を二人で旅してほしい(超個人的願望)。
設定が好み
設定がちりばめられていて、妄想がはかどります。例えば、「魔女は自身の何か(声とか)を犠牲にすることで通常では使えないような強力な魔法を使うことが出来る」というものがあります。絶対に二次創作でエモい場面を引き起こすことになりそうな設定ですよね。本編でやったらイレイナさんの旅終わっちゃうので(メタ的に)たぶんやらないと思いますけど。
幼い頃から本の虫で、冒険の物語を読んだ影響で冒険好きになり...という設定も良いですね。なんだかその生い立ちは私自身のそれと重ねてしまいます。ここは人それぞれだとは思いますが、私は自分と重ねられるキャラの方が感情移入しやすくて好きになりがちです。
本めっちゃ読んでるしこの主人公INTとEDUがめっちゃ高そう(?)。
......
上にも書いた通り、恐らくヨーロッパをモチーフにしています。日本人としてはやっぱり憧れますよね、西洋の国。フランス/イタリアのような丘陵地帯もあれば、ロシアのような雪原もあり、ポルトガルがモチーフと思わしき海辺の街も登場します。先ほども作画が良いと書きましたが、普通に旅してみたいと思うような街並みばかりです。またヨーロッパ旅したい欲が深まってしまう
イレイナ(イレーナ)という名前は東欧に多い名前ですし。原作の方を読み進めるうちに日本のような国も登場するのかも知れませんが、いまのところは欧州周辺の地域をモデルにしているように思えます。
主題歌が良い
これも結構重要な要素かも知れませんが、OP/ED曲がかなり良いです。
OP曲「リテラチュア」は、一日の旅の始まりを思わせるような軽いメロディーで、旅路の主人公が自分を奮い立たせるような歌詞です。旅しながら聴きてぇ~!
「好きだから選ぶ 選びながら私になってゆく」という一節がとっても好きです。旅は人生で、人生も旅みたいなもので、それは選択の連続でその選択によって「私」が形作られてゆくということは、本作の一つの大きなメッセージでもあり、好きなものを選ばない理由なんてないという事をイレイナさんの旅を通して伝えているように思います。
ED曲「灰色のサーガ」は、まだ未熟な旅人の、決意に満ちた曲です。「サーガ」とは中世に書かれた物語のことらしいです。なぜ灰色なのか...は、アニメを見たあなたにはもうわかるはずです。
「新しい明日へ行くよ 喜びも絶望も越えて急ぐその先へ」
「ただ知りたいから 出会い 学び 選ぶ道で綴る私だけの物語」
喜びも絶望も越えるという決心、そしてより多くのことを知りたいから旅をして、物語を作るんだという旅の理由が歌詞の中に込められています。ここでもやはり、「選ぶ」という言葉もキーワードとして登場しています。
旅をする理由(より多くのことを知りたい)が私とそっくりでこれはもはや私の歌なのではないかと思っていますが、旅人が旅する理由って、突き詰めればそこにあるのかも知れませんね。見たことないものを見たいとか、未知の食べ物を食べたいとか、そこに行かなければできない体験をするとか...一言でいえば「知りたい」に尽きる気がします。
とはいえ、好き嫌いは分かれそう
めちゃくちゃシリアスというか強烈な回(※9話です)があります。ここで好き嫌いが分かれそうです。物語的には大きな意味を持つ回だと思いますし、私としてはダークな感じはむしろ歓迎なのです(まど☆マギとか好きですし...)が、嫌がる人も居ると思いますし、それはまぁ理解できます。皆さんもぜひ観て確かめてみてくださいニッコリ(とはいえオタクの皆さんは割とそういうの耐性あるので大丈夫かな?)
あとは、旅には色々な出来事があるということですね。上に書いたように後味の悪いシリアス回もあれば、和むようなギャグ回も心温まる感動回もあります。
だから、ずっと安定して続いていく日常系の物語とかが好きな人にはあんまりウケない気がします。一方で、旅好き、ファンタジー好き、中世ヨーロッパ好き、出会いと別れの物語好き(ここまで全部私です)などにはめちゃくちゃに刺さるかと。
とりあえず観てみてね
dアニメストアとか、AmazonPrimeとか、その手のやつを契約していれば今すぐ観れます。とりあえず1話&2話(ここはセットだと思っている)だけでも観てみてください。それで気に入りそうかどうかがなんとなく分かると思います。なんなら、AbemaTVであと1週間くらいは無料で見られるみたいです(1月24日時点)。(急いで記事を書いた理由)
そしてもし気に入ったなら、この作品について私と語らいましょう。
ついで(宣伝)
本当になんの脈絡もないんですが、劇場版ポケットモンスターココ、まだ見てないよという方はこちらもぜひ観てください。たぶんあと1か月くらいしかやってないと思うので。こちらも旅の物語です。(見ればわかります)
個人的にはポケモン映画で過去1か2くらいに好きです。「ただいまとおかえり」神曲です。これまでのポケモンの物語に詳しい人や、旅が好きな人はきっと涙腺を破壊されることでしょう。
そして観た後にはあなたもきっとこう思うでしょう。旅人たちに幸あれ!
なんで5千字がこんなにスラスラ書けるのだろうか...レポート1本書く時の5倍くらいは速そうですね。では。
「ahamo」はデジタル知識階級への富の再分配である
こんにちは。ともさんです。
ドコモが新プラン「ahamo」を発表しました。世間はかなり盛り上がりましたね。
その実は、長年、携帯業界を見てきた(?)私も、かなり驚きを感じるプランでした。
・(本当に)一切追加料金なしの2980円
・当然契約年数での縛りなし
・契約手数料なし
・海外ローミングも無手数料!
・5分間かけ放題付き!
これをドコモが出すというのは信じがたいことです。どれくらいすごいかと言うと、最新機種のiPhone12 Proが5万円くらいになったイメージです。SEではなく、12Proが、です。
元々、格安スマホと呼ばれるモノはありました。(正式にはMVNO=Mobile Virtual Network Operator、と言います)MVNOは、ドコモなどの回線の一部を間借りすることにより、自分たちでアンテナを建てずとも通信事業を行うことが出来、ショップもあまり持たず基本的にはオンライン契約とすることで安さを提供してきたのです。
しかし、彼らにも問題点はありました。それは、"繋がらないこと"です。全部で6車線あるドコモの道路のうち1車線を借りて運営しているイメージですから(だから安い)、当然混雑時には渋滞してしまいます。その間、6車線を使えるドコモ本家は当然渋滞しません。
もう少し車線の数を増やしたのが、ワイモバイルやUQモバイルです。彼らはソフトバンクやau(大手キャリア)の直轄する子会社です。親会社には及びませんが、基本的に使っているうえで不満が起こらない程度には渋滞しません。価格は多くのMVNOより少し高いくらいです。安い割にちゃんと使えるという事で、割と人気でした。
しかし、今回のahamoは、そのワイモバイルやUQモバイルよりも安いのです。ちゃんと6車線全部と5Gまで使えるのに。なんということでしょう。これで、彼らの存在意義は完全に無くなってしまいました。ワイモバイルやUQモバイルで契約しているのは、それなりにITの知識がある層です。早急に何らかの手を打たなくては、両社から人が居なくなるのは時間の問題です。
と、ここまででahamoのヤバさはお分かりいただけたかと思います。
ここからが本題になるのですが私はこれを、ここ最近、様々な場面で行われてきた「デジタル知識階級への富の再分配」の一つの新しい例だと思うのです。
一つのわかりやすい例としては、キャッシュレス消費者還元制度です。(もう懐かしい感じがするものです)
増税に伴う施策でしたが、キャッシュレスの手段で支払った場合、政府がその一部を還元してくれるというものでした。ですが、考え方を変えれば、これは「現金を使う人から集めた税金をキャッシュレス利用者に配る」ということでもあります。
ahamoはこれと同じ構造です。今まで、ドコモなど大手キャリアが多くのコストを割いてきたのが、対面式のサービスです。しかし、ユーザーの一部はもはや対面式のサービスを必要としていないのです。(既に、少しネットが分かる人なら、完全にオンラインで契約可能)にもかかわらず、そのようなユーザーも対面式のサービスを必要とするユーザーの分も負担しなければならない。それが、携帯料金が下がらない理由の一つでした。
現金や対面式のサービスなど従来型のシステムは、そのシステムを維持することに多くの費用が掛かります。で、あるからこそ世の多くの企業は、現金よりキャッシュレス、有人より無人、対面よりオンラインにきりかえようとしているのです。
様々な新しい技術が開発され、それを取り入れてコストを削減することは技術的には可能です。しかし、旧来のシステムを使いたい人(旧来のシステムしか使えない人)に合わせて社会全体でそれを維持してきたのが今までの時代です。
例としては、現金輸送車です。実は、現金を運んだり、保管することにはかなりの費用を要します。(常に盗まれ、襲われる危険性が伴うため)コンビニのATM1台1台に厳重なセキュリティを導入しなければならないのも同じようなものです。現金を計算し、レジ締めを行う人員もそうです。それらは、現金を使う人が居なくなれば必要のないコストです。そして、現在の技術があれば本来、現金を使う必要はありません。
マイナンバー制度を利用すると、ポイントがもらえるというのも同じです。「税金の無駄遣い」と揶揄されていますが、今まで行っていた様々な事務手続きが不要または簡素になり、それにより浮いてくる費用の一部を還元しているようなものです。
むしろマイナンバーに移行しない人々こそ、税金の無駄遣いをさせていると言えます。
本来はしなくてもよい負担を強いられていた、ある程度デジタルの知識がある人々に対しては携帯の利用を安く解放しようというのが、今回のahamoなのです。そのような人々は、何か困りごとがあれば自分で調べて解決するか、オンライン式のチャットを使います。要するに、積極的に新しい技術を使ってくれ、コストが掛からないユーザーなのです。
ahamoの登場は、これからの時代は、旧来のシステムを使いたいならば、それ相応の負担を求められる時代になることを意味しています。
対面式のサービスを必要とするユーザーへの負担は今までより大きくなることでしょう。ショップの数は減ることは間違いないでしょうし、ショップでのサポートは有料になるかも知れません。
このような動きは、今後携帯電話業界全体で進むでしょう。そうしなければ、auやソフトバンクは生き残れません。
楽天はどう動くでしょうか。楽天モバイルは4社目の大手キャリアという立ち位置でドコモを焦らせ、今回の新プラン導入に踏み切らせた功労者と言えますが、その役割を果たした時点でお役御免なのでしょうか。おそらく、そうはならないでしょう。
また以前の3社に戻れば、元の木阿弥で携帯料金は戻ってしまうかも知れません。そのために政府としても、楽天モバイルを生かし続ける必要があり、何らかの手は打つでしょう。
今後の携帯業界から目が離せませんし、より安くサービスを使いたいのであれば、皆さんも注視すべきだと思います。
以上、ahamoのお話でした。
"スマート"を再考する。~iPhone12miniを買いました~
おばんです。最近大きなプロジェクトを動かすことになったり、実はせかせかと働いていたりして人生史上3番目くらいに忙しいともさんです。
最近ぼちぼちしゃべってますが、iPhone12miniを買いました。
ともさんと言えば、基本的にandroid信者で有名(?)、iPhoneにヘイトを垂れ流すことも少なくはありません。そんな私がどうしてiPhoneを買ったのか。それは、これが近年では珍しく私にとって「スマート」な携帯電話であったからです。
出来ることが多いことは"スマート"なのか?
近年のスマホといえば、電子書籍にネットフリックス、高画質なゲームと取り扱うコンテンツも大幅に増えました。それに伴って画面も大型化して行きました。(iPhone5と12ProMaxの比較写真とかがたぶんあると思うので、ググってみてください。)
しかし、手腕の大きい欧米人であればともかく、画面が大きくなることは、片手で持ちにくくなり、ポケットに入りづらくなり、重さで手が疲れやすくなることを意味します。
その一つの解決法が、最近出てきている折り畳みスマホです。新しい技術という文脈で考えたときには非常にワクワクします。が、スマホに大きな画面を求めることが前提になっているのは違いありません。また、重さの問題は解決できていません。
私の場合では、大型な画面のデバイスとしてはiPadがあります。肌身離さず持ち運ぶデバイスが大きく、重い必要は全くないのです。そもそも、どれだけ画面が大きくなろうとスマホはスマホです。映像作品などを観ることに適しているとは、私は思いません。そもそもスマホでは無理なものを、一応出来るようにしなくても良いのではないか、という考えです。そのために犠牲になったものが軽さだったり価格だったりするわけですから。
そういった文脈から、「スマート」であることを今一度考えると、私の場合それは「使いやすい大きさであること」であり、近年はGalaxyのコンパクトモデルを買うなど、小型志向でした。しかし現実に発売されるデバイスはどんどん大きくなってゆく...そんな中舞い降りたのが、iPhone12miniだったのです。
おかえり、"スマート"フォン
実際に使ってみました。めちゃくちゃ軽いです。永遠に持っていても手がつかれなさそうです。非常にしっくり来ます。そして懐かしい感じ。
中学生のころ、出始めのころのXperiaとプリペイドSIMカードで遊んでいたのを思い出しました。あのXperiaはこれくらいの大きさだったような気がします。(唐突な自分語り)
この類の懐かしいようなわくわくは久しぶりです。最新のiPhoneなのでもちろんレスポンスは最上級ではあるものの、なんらすごい新機能があるというわけではありません。
しかし、きっと満足して使っていくのだろうという謎の確信があります。
スマートフォンとは、究極的には人の生活を便利にするものです。人々にとって、ゲーム機であり、映画館であり、と使われ方は変わって行きますがエンタメ機能は二の次で良いはずだと、私は考えます。(エンタメに主眼を置くべきという意見も否定はしません)
少なくとも、近年のどのメーカーもエンタメ全振りみたいな状況を考えると、エンタメ機能を度外視で考えられたスマートフォンがあっても良いはずです。それが本来の目的なのならば。それがiPhone12miniなのです。
2007年、iPhoneを発表したSteve Jobs氏が壇上で語った言葉、「携帯電話を再設計する」をふと思い出した。そう、Appleは、2020年にもう一度スマートフォンを再設計したのです。
「Go Toキャンペーン」は県内/近県の消費に使うべきである
おばんです。最近心臓病を疑っていたけどどうやらそうではなさそうだったともさんです。
ここ最近、何かと話題の「Go To トラベルキャンペーン」。経済産業省が主導して国内旅行の割引を行うという消費喚起政策です。
私含め、発表された当時は多くの人がこのキャンペーンが行われる頃にはコロナウイルスの感染は下火になっているだろう、と思っていました。
しかし、現実はそれには程遠かったのでした。
下火になるどころか、一度減少した感染者数は首都圏を中心に再び増加、しばらくは感染者ゼロだった地方でも、じわじわと首都圏からの「飛び火」が現れています。
これを踏まえて、私が提言したいのは非常にシンプルなことです。
Go Toキャンペーンは近場で使うべき
ということなのです。
その根拠としては、
①遠くても隣県同士の移動程度ならば、感染を全国的かつ急速に拡散することはない。
②首都圏の感染を他所に拡散させない。
③それぞれの地域で「近場観光」を行えば本来目指した、事業者への支援は果たされる。
GoToキャンペーン自体は、素晴らしい政策なのですが、いかんせん状況が悪い。しかし、日本という国は一度決めたことはどんな犠牲を払ってでも成し遂げます。また、物事が決まるまではメチャクチャに遅いので、国からの感染抑止に効果的なアシストは期待できません。そこで、使う側各々が工夫して使おうというわけです。
旅行。というと、どうしても有名な観光地や、遠くに行くことに意識が向きがちな人が多いことだと思います。
でも、自分の住んでいる地域の温泉に行ったことはありますか?
旅行好きな人ほど意外と、ノーという方が多いのではないかと思います。
そこで、私はこのキャンペーンを美味しく利用しつつ、感染拡大にも配慮する旅行の方法を2つ提案します。
①近場の温泉地に行ってみる
日本は温泉大国です。まさに全国津々浦々、温泉地が存在しています。
正直な話、銀山温泉のような場所でない限り、温泉ごとの個性を見つけることはかなり難しいです。でも、とりあえず温泉旅館ってどこでも癒されますよね?
今まで知らなかった近場の温泉旅館を知りつつ日々の疲れをいやし、おいしい食事を食べる。いまこそ、そのようなことを安価に行うチャンスであるということなのです。
②住んでいる場所発着のバスツアーに参加してみる
後ほど説明しますが、このキャンペーンでは日帰り、宿泊を問わずバスツアーも対象となります。バスツアーには「フルーツ狩り」「日帰り温泉」「絶景散策」等、一連の行程がすべてパッキングされた様々なプランがあります。
e.g(こんな感じ...)仙台発!蔵王の絶景ロープウェイ&牧場散策&日帰り温泉
また、大きな利点としてバスツアーでは感染対策が徹底されることが予想されます。
企業として旅行者の中に感染者を出してしまい、評判が失墜することは避けたい。バスの消毒も必要になります。その結果、バスツアーを開催する企業は非常に慎重になることが予想されるのです。具体的には、密着しない座席配置、乗車時の検温などが考えられます。
それらを踏まえたうえで、改めて「Go Toキャンペーン」の内容を解説します。
①宿泊と交通手段がセットになった旅行商品
②宿泊施設の利用
③往復の交通+αの日帰り旅行商品(日帰りバスツアーはこれに当たります)
が、
①金額の35%が割引され
②金額の15%程度のクーポンが貰える
というものです。
②のクーポンというものは、キャンペーンに加盟している土産物店、飲食店、観光施設等で使うことが出来るものです。
いつもより安く温泉に入り、お土産も付いてくる。これでもう十分ではないでしょうか。有名な観光地もいいですが、恋人やお友達とすぐに行ける温泉でゆっくり過ごす、というのも十分な価値を持つことだと思います。
〈ひとくちブログ〉一人称の話。
おばんです。最近はPC組立士を副業にしようかと思っているともさんです。ひとくちブログは、私がふと面白いと思ったことをメモするようなものです。オチはありません。
さて、早速ですが今回は一人称の話です。
ズバリ、皆さんの一人称は何でしょうか。
男性は「俺」が圧倒的に多く、次いで「僕」、「私」あたりが並ぶでしょうか。
女性はほぼ全員が「私」か「あたし」なのではないかと思います。次いで自分の名前を一人称にする人も稀に居ます。(ともさんの経験上では)
しかし、なぜ人によって違うのでしょうか。不思議ですね。
私の一人称は、この文章の冒頭のように基本的には「私」です。対面で人と話す際も含めてです。Twitterでは、「ともさん」を一人称として使う場合もありますが、それはわざと客観で(他人事のように)文章を書く場合です。それ一人称って言えるのかわかりませんけれども。(ex:【悲報】ともさん、寝過ごして航空券がパーになる...のように)
一人称の面白いところは、時と場合によって変わりうるということです。
例えば、偉い人との面接で「俺」を使う人は居るでしょうか。もちろん居てもいいのですが、少数派でしょう。家では自分の名前が一人称になるけれど、外では「俺」や「私」を使うという人も居るのではないでしょうか。しかし、それはなぜでしょうか。
一人称を変えるだけで、なぜか言葉全体の持つ印象が変わってしまいます。「俺」は活発な印象を与えるし、「僕」は大人しく育ちが良さそうな印象を受けませんか?(ドラえもんのジャイアンは「俺」で、スネ夫は「僕」と言えば分かりやすいでしょうか。)
おそらくですが、一人称を使い分ける人の理由はそこにあるのだと思います。
もう一つ、一人称は成長するにつれて変わることがあります。
というよりは、ほとんどの人がこの変化を経験しているのではないでしょうか。
ともさんの場合は、「僕」→「自分」→「俺」→「私」と3回くらい変わっています。というか網羅していますね。これは成長につれて人の内面が変化することに伴うものだと思います。また、今とは違う印象を与えたいゆえに、無意識のうちに変えて行くという場合もあるかと思います。
私の知っている女性に、昔の一人称が「僕」だったという人が居ました。もう少し多様な一人称がある社会ならちょっと面白いなと思った、男性による使用率23.1%の「私」でした。
ボクっ子は実在する
第1話 はじめまして、MYU
おばんです。記事に書きたいことはいろいろあるものの書いては途中で下書きに積み上げていっているともさんです。
今回は、いま通っている宮城大学はいよいよ3年目ということで、ここでの私のいままでの歩みをまとめたシリーズ記事を書くことにしました。
入りたてホヤホヤの新入生の皆さんはもちろんのこと、多くの在学生の皆さんにご覧いただければと思います。学んだこと、感じたこと、やってきたこと、出来る限り多くのことを伝えたいと思います。
第1回の今回は、私が大学にやってくるその少し前のお話。なぜ今ここにいるのかという、いわゆる導入の部分です。それでは。
MYUとの出会い
宮城大学は、私の第一志望の大学ではありませんでした。
なんて言う人も多くいることでしょう。特に私と同じ学部には。
私もそうでした。
ともさんこと私が元々目指していた大学は、静岡大学の、地域創造学環というところでした。あれ?なんかに似てね?と思った人、ステイステイまだはやい
地域創生学類とは少し、いやかなり違います。この学環というのはその名の通り、学びが輪になっているイメージであり、様々な学問を総動員して地域と向き合うというコンセプトで、少数精鋭、なんとマンツーマンの担当教員が付き、諸学部の授業に自由に出入りできるというなかなか普通ではなかなかない学部だったのです。私がとくに惹かれたのは、諸学部の講義に出入りできるという点です。
しかし、センター試験の結果は。射程圏外ではないが私は現実に負けました。
そのような中で私もバカではないので第2志望というものを用意していました。言葉の響きは好きじゃありませんでしたけど。
高校3年の秋のことでした。進路指導部の先生に言われたのです。探しておいた方がいいかもよと。あれ?もしかしてバカだったのではn
静岡大学に行かないならば東北の中だと思い、探しました。私立大に行くつもりは毛頭なかったので、選択肢はすぐにごく僅かになります。
宮城大学を見たわたしの第一印象は、
なんか学部のバリエーションが面白い大学がある
というものでした。
いえ、正確には第一印象ではありません。オープンキャンパスに行っていました。しかし、近場の国公立大学だからという理由だったため、あちこち行った中のひとつでしかありませんでした。それゆえに、真正面から向き合ったのはこの秋のことだったのです。
そこで感じたことが、「事業構想、看護、食産業」というネーミングからにじみ出る学問のキワモノ感でした。普通の大学なら、経営、医学、農学となる部分でしょう。この珍しさに面白さと興味を感じました。そしてこの大学を第2志望としたのです。近かったしね。
現実に負け、敗北からのスタートでした。それでもここに、宮城大学のともさんの物語が始まったのです。
やはり120名取ってきましたねぇ! pic.twitter.com/zWg66i8zpl
— と も さ ん (@Traveloveliver) 2018年3月6日
(合格した日のツイート)
はじめまして、MYU!
つづく
表面だけを見ての批判はやめよう(自戒)
ついに家の1キロ圏内にウイルスの魔の手(クラスター)が迫り、おうちで過ごしているともさんです。正直、primevideoを見たり、本を読んだりしながら家にいるのもそんなに悪くないです。
仙台市では、2つめ、3つめのクラスターが発生したことを受けて学校の対応を急転換させた市が批判されておりますが、どう考えても市に対してのそれは論理的な批判ではないと思ったので今回は記事を書きました。
表面だけを捉えるのは簡単だ
これは、今の状況への批判であると同時にかつての私自身への批判であり、自戒でもあります。
かつて私は、政府の「重症者のみを検査する」という方針に対して「検査の実行可能数を増やし、疑わしい症例に対してすべてPCR検査を実施すべき」であると主張していました。これは、できる限り多くの患者を把握、管理下に置くことにより、感染の広がりを最低限に抑えることができると考えていたからです。
しかし、それは間違いであったと後に分かります。
①PCR検査というものは、高い技術を有した技師などの人々の存在が不可欠であり、実行数をそう増やせるものではない。また検査の全体数を増やせばキャパシティを圧迫して、重症の患者の確定診断など、本当に必要な診断が行えなくなる可能性がある。
②すべての疑わしい例に対して検査を実施して重症でない入院患者を増やしすぎると、医療体制を圧迫し、やはり重症患者へ必要な医療が提供できなくなる。
③検査の的中率は100%ではなく、陽性なのに陰性と出たり、その逆もある。つまり検査で陰性でも自分が陰性であるという保証はなく、どちらかと言えば重症者の感染を確定させる場合に使うべき。
④陽性となっても、行える治療の内容は変わらない。
②に関しては、このような政府の方針であってさえ、軽症患者が増えてホテル等に移すことが今まさに行われていますね。
つまり、政府の方針は正しかったのです。これは検査のことを少し調べればわかっていた事でしょう。しかし、私は物事の表面のみを見、安易な批判を行いました。われわれ一般人では分からない事の方が多いのです。
この私の過ちはこういった中身のない批判の一例に過ぎません。ほかの例として猛批判を受けているマスク2枚の配布を見ていきましょう。
物事の裏にある"理由"を探れ
物事には必ず理由があります。政府が布マスク2枚の配布に至った過程を大雑把に見ていきましょう。
①マスクが不足している。医療機関に優先的に供給したいが、出来れば市民にも配りたい。
②偶然、国内に数多くの布マスクの在庫があった。布ならば洗って再利用もできる。
③日本の一世帯当たりの平均人数は2名である。
④日本郵便に、国内の全世帯に同じ郵便物を送るサービスがある。
かくして、政府は1世帯当たり2枚の布マスクを配布することにしました。同時に、紙マスクは医療機関に優先供給されることになりました(重要)。
うちは5名だとか、そんなことを一々聞いていたら、配布するのが遅くなるのは想像に難くありませんよね?
また、マスクを配布するのに必要だという200億円というのは、それだけ聞けば大金に思えますが、国民一人当たりで見れば150円ちょっとです。150円づつ現金で配られるくらいだったら、マスクが欲しくはありませんか?
なんとか学園関連とか、花見のお話とか、正直私もその関連で考えれば政府を信頼してはいません。しかし考えてみてください。今は非常時であり、判断の誤りは支持率に直結します。そのような状況の中で少なくとも雑な判断などするわけがないのです。人柄とか人間性とか、そういう話をする時ではないのです。
その上、我が国のその分野のトップの学者が集まり政府に助言を行っているのです。一般人がそれをするよりはそう悪い方向に間違うわけはありません。
同じことは地方自治体についても述べることが出来ます。
学校の休業期間の延長や、入学式の中止が直前の対応となったことについて市は批判を受けていますが、それにもちゃんとした理由があります。
①まず、当初の休業期間が短く、後に延長されたことについてですが、どの程度の被害が出るのか分からない段階では、それほど長く休業期間を設けることを決定して公表することは出来ません。たとえ内部では感染拡大を免れることは出来ず、期間を延長することが現実路線であると考えられていたとしてもです。万一、何も起きなかった場合にそれは無駄な休業期間となります。
②次に、休業期間延長や入学式の中止の発表が遅かったとされていることについてですが、これは開始予定の直前に新たなクラスターが発見されたことによるものです。開始予定が15日。クラスターが疑われる例が報告されたのが12日(クラスターと確定したのは14日です)で休校の延期を決定したのが13日、さらに無症状者の感染が確認されたのは14日です。市は14日中に翌日の入学式を取りやめると発表しました。これは本当に遅い対応なのでしょうか?
市長が会見を開いたのは夜遅くのことです。それだけ調整が難航したのでしょう。
もしも市が決定を下さなければ、さらなる感染拡大が起きていたかも知れず、批判している人々もそれを恐れて決定を求めていたはずです。ならば、タイミングのことを非難するよりも、まずはその決定を下したことに感謝をするべきなのではないでしょうか?
叩く手を一瞬止めて誰かに敬意を
私がここでやっていることも他者への批判なので、ブーメラン感は否めません。しかし、私の今度の批判は目先に示された事実を怒りの感情で処理しているだけではないと考えています。
誰かを非難する前にぜひ少し頭を働かせ、その代わりに最前線で闘っている誰かへの感謝と敬意をもってほしいと思います。
ないものはないのです。その中で最善を尽くさなければならない。
多くの人々の支えによって社会は動いています。県や市の職員の皆さんもそうですが、小売業の店員、運送業で日夜荷物を運ぶ皆さん、インターネットが使えるよう保守整備する皆さん、発電所をコントロールする皆さん、そういった人々の仕事があって私たちの今の暮らしは支えられています。特筆するまでも無いでしょうが、もちろん医療従事者の皆さんは前線の更に前、敵の中で闘っているようなものです。
そのような皆さんに私からもぜひ、感謝と敬意を贈りたいと思います。幸せなことに私は家の中に居るだけで生活ができます。本当にありがとうございます。
湿っぽい話でごめんなさい。次回は何か、旅の話でも書ければと思っています。