ともさんの日常(ティータイム)。

旅をする多趣味なオタクです。たまに難しい話をしたり、旅の報告とかやります。

表面だけを見ての批判はやめよう(自戒)

ついに家の1キロ圏内にウイルスの魔の手(クラスター)が迫り、おうちで過ごしているともさんです。正直、primevideoを見たり、本を読んだりしながら家にいるのもそんなに悪くないです。

 

仙台市では、2つめ、3つめのクラスターが発生したことを受けて学校の対応を急転換させた市が批判されておりますが、どう考えても市に対してのそれは論理的な批判ではないと思ったので今回は記事を書きました。

 

 

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表面だけを捉えるのは簡単だ

これは、今の状況への批判であると同時にかつての私自身への批判であり、自戒でもあります。

かつて私は、政府の「重症者のみを検査する」という方針に対して「検査の実行可能数を増やし、疑わしい症例に対してすべてPCR検査を実施すべき」であると主張していました。これは、できる限り多くの患者を把握、管理下に置くことにより、感染の広がりを最低限に抑えることができると考えていたからです。

 

しかし、それは間違いであったと後に分かります。

 

PCR検査というものは、高い技術を有した技師などの人々の存在が不可欠であり、実行数をそう増やせるものではない。また検査の全体数を増やせばキャパシティを圧迫して、重症の患者の確定診断など、本当に必要な診断が行えなくなる可能性がある

 

②すべての疑わしい例に対して検査を実施して重症でない入院患者を増やしすぎると、医療体制を圧迫し、やはり重症患者へ必要な医療が提供できなくなる

 

検査の的中率は100%ではなく、陽性なのに陰性と出たり、その逆もある。つまり検査で陰性でも自分が陰性であるという保証はなく、どちらかと言えば重症者の感染を確定させる場合に使うべき。

 

④陽性となっても、行える治療の内容は変わらない。

 

②に関しては、このような政府の方針であってさえ、軽症患者が増えてホテル等に移すことが今まさに行われていますね。

つまり、政府の方針は正しかったのです。これは検査のことを少し調べればわかっていた事でしょう。しかし、私は物事の表面のみを見、安易な批判を行いました。われわれ一般人では分からない事の方が多いのです。

 

この私の過ちはこういった中身のない批判の一例に過ぎません。ほかの例として猛批判を受けているマスク2枚の配布を見ていきましょう。

 

 

物事の裏にある"理由"を探れ

物事には必ず理由があります。政府が布マスク2枚の配布に至った過程を大雑把に見ていきましょう。

 

①マスクが不足している。医療機関に優先的に供給したいが、出来れば市民にも配りたい。

 

②偶然、国内に数多くの布マスクの在庫があった。布ならば洗って再利用もできる。

 

③日本の一世帯当たりの平均人数は2名である。

 

日本郵便に、国内の全世帯に同じ郵便物を送るサービスがある。

 

かくして、政府は1世帯当たり2枚の布マスクを配布することにしました。同時に、紙マスクは医療機関に優先供給されることになりました(重要)

 

うちは5名だとか、そんなことを一々聞いていたら、配布するのが遅くなるのは想像に難くありませんよね?

 

また、マスクを配布するのに必要だという200億円というのは、それだけ聞けば大金に思えますが、国民一人当たりで見れば150円ちょっとです。150円づつ現金で配られるくらいだったら、マスクが欲しくはありませんか?

 

 

なんとか学園関連とか、花見のお話とか、正直私もその関連で考えれば政府を信頼してはいません。しかし考えてみてください。今は非常時であり、判断の誤りは支持率に直結します。そのような状況の中で少なくとも雑な判断などするわけがないのです。人柄とか人間性とか、そういう話をする時ではないのです。

その上、我が国のその分野のトップの学者が集まり政府に助言を行っているのです。一般人がそれをするよりはそう悪い方向に間違うわけはありません。

 

 

同じことは地方自治体についても述べることが出来ます。

 

学校の休業期間の延長や、入学式の中止が直前の対応となったことについて市は批判を受けていますが、それにもちゃんとした理由があります

 

①まず、当初の休業期間が短く、後に延長されたことについてですが、どの程度の被害が出るのか分からない段階では、それほど長く休業期間を設けることを決定して公表することは出来ません。たとえ内部では感染拡大を免れることは出来ず、期間を延長することが現実路線であると考えられていたとしてもです。万一、何も起きなかった場合にそれは無駄な休業期間となります。

 

②次に、休業期間延長や入学式の中止の発表が遅かったとされていることについてですが、これは開始予定の直前に新たなクラスターが発見されたことによるものです。開始予定が15日。クラスターが疑われる例が報告されたのが12日(クラスターと確定したのは14日です)で休校の延期を決定したのが13日、さらに無症状者の感染が確認されたのは14日です。市は14日中に翌日の入学式を取りやめると発表しました。これは本当に遅い対応なのでしょうか?

市長が会見を開いたのは夜遅くのことです。それだけ調整が難航したのでしょう。

 

もしも市が決定を下さなければ、さらなる感染拡大が起きていたかも知れず、批判している人々もそれを恐れて決定を求めていたはずです。ならば、タイミングのことを非難するよりも、まずはその決定を下したことに感謝をするべきなのではないでしょうか?

 

 

叩く手を一瞬止めて誰かに敬意を

私がここでやっていることも他者への批判なので、ブーメラン感は否めません。しかし、私の今度の批判は目先に示された事実を怒りの感情で処理しているだけではないと考えています。

誰かを非難する前にぜひ少し頭を働かせ、その代わりに最前線で闘っている誰かへの感謝と敬意をもってほしいと思います。

ないものはないのです。その中で最善を尽くさなければならない。

多くの人々の支えによって社会は動いています。県や市の職員の皆さんもそうですが、小売業の店員、運送業で日夜荷物を運ぶ皆さん、インターネットが使えるよう保守整備する皆さん、発電所をコントロールする皆さん、そういった人々の仕事があって私たちの今の暮らしは支えられています。特筆するまでも無いでしょうが、もちろん医療従事者の皆さんは前線の更に前、敵の中で闘っているようなものです。

 

そのような皆さんに私からもぜひ、感謝と敬意を贈りたいと思います。幸せなことに私は家の中に居るだけで生活ができます。本当にありがとうございます。

湿っぽい話でごめんなさい。次回は何か、旅の話でも書ければと思っています。